沖縄県立博物館の目玉展示に港川人の復元模型があります。モノレール駅に設置された県立博物館の案内で目にされた方も多いはず。結構リアルで親戚にも1人くらいこーゆー人いそうな感じ。
これです。
で、港川人って何?ウチナンチューの祖先?って普通思いますよね。
港川人は現在の八重瀬港川フィッシャー付近で、大山氏によって発見された約2万年前の人骨です。特徴としては、国内で発見された最古の全身骨格!というところ。本土では旧石器時代の人骨は見つかっていないのですが、沖縄は石灰岩地帯が多いので人骨が見つかりやすいんですね。
そして港川人は発見されてから縄文人の祖先ではないかと言われてきました。縄文人は日本人の祖先で、縄文系の顔立ちは沖縄や北海道のアイヌの人々に多く見られるといいます。縄文人のルーツ説はいくつかありますが、現在のメインストリームは埴原さんが唱える「二重構造モデル」のよう。旧石器時代に東南アジア方面から来た集団が縄文人になり、その後北東アジアから渡来した人々が混血していった…という説です。当初の研究では港川人は中国の柳江人やジャワのジャワク人に似ているといわれてきましたので、この東南アジア方面説の根拠にもなってたのですが…
けれども!
近年の研究や発見でこの説がかわっちゃうかも!?
その① 港川人は縄文人には似ていない?
近年の研究で港川人の顔の特徴が縄文人とかなり違う。どちらかというとオーストラリアの先住民やニューギニア人に近いという研究が発表されたのですね。国立科学博物館の海部陽介さんによると港川人は本土の縄文人とは異なる集団だった可能性があるとのこと。んー?ということは縄文人の南方ルーツ説はどうなるんだろう…
その2 空白の時代からの出土
今まで港川人から最古の土器が発見されるまで空白の時代が存在しました。
つまりこんな感じ。
3万6000年前 最古の人骨@山下洞港川人
2万2000年前 港川人
空白の時代
8千年~7千年前 最古の土器が出現する
この間、何も見つからないのはおかしいじゃん!ということで、狩猟民族だった港川人は他の土地へ渡ったか、一度絶滅して逆にまた本土から縄文人が来たのでは…とも言われてきました。
しかし!近年この空白の時代からも人骨や道具が見つかってきたのです。
3万6000年前 最古の人骨@山下洞港川人
2万2000年前 港川人
2万年前 サキタリ洞から装飾品、道具、人骨の発見
1万4千年前 石器と人骨が見つかる
8千年~7千年前最古の土器が出現する
サキタリ洞の人骨と港川人の人骨の共通点などは不明です。もし共通だったとしたら、港川人ルーツの縄文人は細々と生き残っていたのかな??だとしたら港川人はウチナンチューのルーツの可能性が出てきた?けど今言われている沖縄と北海道に多いとされる縄文人とはやっぱり別の集団??
全然別物だったら港川人はやはり一度滅んだのかなーとか、じゃあサキタリ洞の人骨がウチナンチューの祖先??で、どこから来たの?など色々新たな謎が。
個人的に思うのですが、縄文人にしてもウチナンチューにしても、このルーツだ!というような特定のルーツは無いんじゃないかなー?もっと複雑に分布していったのではないでしょうか。どちらにせよこの時代の発見ってすごくワクワクしますよね。縄文人をモデルにした港川人復元模型も、オーストラリアの先住民をモデルにした新型港川人復元模型も、沖縄県立博物館で見れますよ。この両者は必見ですよ!ウチナンチューはどこから来たのだろう…と考えながら是非見比べて見てください。
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